「細く長く続ける」

インタビュー取材

ローバー都市建築事務所の野村正樹社長は、30歳までに独立するという目標を掲げ、建築士の資格取得から起業まで、着実に歩みを進めてこられました。創業から四半世紀、人との縁を大切にしながら、京都の街に温かな空間を築き続けています。建築を通じて人を想い、未来へバトンを繋ごうとする経営者の哲学に迫りました。

野村 正樹(のむら まさき)
株式会社ローバー都市建築事務所 代表取締役
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独立までの経緯

日野
日野

前回の取材では、建築士を志す経緯についてお伺いしました。今回は、野村社長の独立までの経緯についてお聞きできればと思います。

野村社長
野村社長

30歳までに独立しようと決めていたので、逆算すると26、27歳くらいで建築士の資格を取らないと間に合わないと考えていました。お金に余裕があったわけではないので、独学で必死に勉強してなんとか建築士の資格を取得しました。建築士資格を取得した当時、設計事務所で働いていたのですが、事務所に内緒でこっそり設計のコンテスト、いわゆるコンペに応募していたんですね。そしたら28歳の時に出したコンテストで1等賞を受賞しまして。それが「なにわの海の時空間」というお土産屋さんのコンペでした。この受賞を機に独立を決意しました。それから準備を急ピッチで進めていったので、わからないことだらけで大変でしたね。ただ、事務所を起こして3ヶ月くらいしたら、続ける方がもっと大変だと気づきました。設計はできても、経営のことは右も左もわからない。そこは手探りでやってきました。

日野
日野

ローバー都市建築事務所という社名はどのようにつけられたのでしょうか?

野村社長
野村社長

会社名を決める時、まず考えたのは、お年寄りの方でも一発で聞いて覚えてもらえる横文字が良いなということでした。当時は、電話帳の最初の方に載るアルファベットの早い文字から始まる名前が良いと言われていたんです。インターネットがほとんどなくて、電話帳を見て広告を探して電話するような時代でしたからね。なので最初は「アーキ何とか」とか、「アイリス」とか、そんな名前をいろいろ考えていました。でもある日突然、寝る前にふと、私がずっと続けているボーイスカウト活動と、母校である同志社大学を創設した新島襄さんに関連する「ローバー」という言葉が思い浮かんだんです。「ローバー」には深い意味があります。ボーイスカウトでは、大人になると「職業を通じて社会に奉仕しましょう」という教えがありますがこれを「ローバーリング」と言います。また、新島襄さんが海外脱出時に乗った船の名前が「ワイルドローバー号」だったんです。「ローバー」には冒険や旅をするという意味があり、目的を持って旅をするというニュアンスがあります。これまで関わってきた様々な縁が重なって社名になりました。結局、「ローバー」は電話帳の最後の方になってしまいましたが(笑)。

日野
日野

社名にそんな想いが……知りませんでした。野村社長が建築設計をする際に大切にしていることはありますか?

野村社長
野村社長

私が大切にしているのは、温もりや癒し、人間らしい温かさ、居心地の良さです。例えば、コンクリート打ちっぱなしの家で育った子供と町屋で育った子供では、多分性格が違ってくると思うんです。環境が人に与える影響は思っている以上に大きい。人間である前に私たちは動物なんです。動物は本能的に、子供を可愛がったり、日向ぼっこをしたり、角に居た方が落ち着いたりしますよね。そういう動物的な、本来人間が持っている居心地の良さや温もり、愛情といった要素を大切にした空間づくりをしています。

日野
日野

その考え方は、野村社長の幼少期の経験が影響しているのでしょうか?

野村社長
野村社長

実は、私の幼少期はごく普通の分譲マンションで過ごしました。それでも母子家庭だったこともあり、なんとなく温もりがあるようなところを求めていたかもしれません。アルバイト先でも家族経営的な場所を選んでいました。その経験が、今の私の建築に対する思いにつながっているのかもしれませんね。

日野
日野

ローバー都市建築事務所は来年で創業25年になるそうですね。この間、転機となったお仕事はありましたか?

野村社長
野村社長

転機となったのは老舗の香料メーカーさんのお仕事ですね。創業300年以上の老舗で、和の良さや情報発信をコンセプトにしている私たちの考えを認めていただき、仕事を任せて下さいました。これが大きな転換点でした。最近では、北海道ニセコでの仕事も印象に残っています。最初は不安もありましたが、北海道の友人や知人の協力を得ながら進めることができました。まだまだ他の建築士さんに比べたら序の口なのかなと思いますが、ただ、私たちの仕事は長い目で見る必要があります。建築家という職業は、60歳からやっと一人前と言われるような世界なんです。年収のピークが89歳というのも特徴的で、日本で3番目に遅いそうです。だから、私は60歳から新成人のようなものです。60歳からバリバリ働いて、いい作品やプロジェクトを手がけていけると思うと、夢と希望に満ち溢れています。89歳までローンを払う気満々です(笑)。

日野
日野

建築士のピークがそんなに遅いのは知りませんでした。今後の展望についてもお聞かせください。

野村社長
野村社長

これからの展望としては、より多くのプロジェクトを手がけて社会の役に立ちたいですね。そして、うまくバトンタッチをしていきたい。次の世代が安心して引き継げる環境を作ることが大切だと思います。京都の老舗企業のように、脈々と続く会社にしていきたいですね。上場や会社売却を目指すのではなく、細く長く続けていければと思っています。

人を大切にするということ

日野
日野

野村社長が大切にされている考えについて教えてください。

野村社長
野村社長

母親からずっと「人を大事にしなさい」と言われてきました。お金持ちでも貧乏でも、幸せじゃないと思っている人はいますが、好きな人に囲まれて不幸な人はあまり見たことがありません。なので、この教えはずっと大切にしています。あと、私は何事も長く続けることが得意なんです。例えば、ボーイスカウトは7歳から今まで47年間続けています。フィットネスクラブも26歳から今まで28年間通い続けているのですが、その間に経営が2回変わってるんです。会員番号が1番なんです(笑)。

日野
日野

フィットネスクラブの会員番号が1番というのはすごいですね。どうやってそんなに長く続けられたんですか?

野村社長
野村社長

続ける秘訣は頑張りすぎないことです。フィットネスクラブも年に3回くらい、気が向いたら行くくらいの気持ちで続けています。何かの会に入ってリーダーになると宣言したり、100%出席すると決めたりすると疲れてしまいます。軽いジャブ程度に関わり続けることが大切です。人間関係も同じで、こちらから切ることはしません。年賀状も毎年出し続けています。多分鬱陶しがられていると思いますが(笑)。

日野
日野

冒頭のお話と繋がってきますが、人を大事にするために心がけていることはありますか?

野村社長
野村社長

人の良いところを見るようにすることが大切です。どんな人にも欠点はありますが、そこに目くじらを立てていたら関係は続きません。広い心を持っていろんな人と接することが大切です。また、私から断ることはほとんどありませんね。体は1つしかないので毎日誘われると困りますが、幅広くいろんな方と会うようにしています。さらに、連絡を取り続けることも大切です。その上でFacebookやLINEなどSNSはとても役立っています。

日野
日野

そのような付き合い方をすると、自分の時間がなくなってしまいそうですが、どのように時間を作っているのでしょうか?

野村社長
野村社長

時々キャンプに行ったり、一人になって自然の中でリフレッシュ時間を意識的に取っています。最近山小屋を知り合いにもらったので、そこで過ごしたりもします。夜9時頃に出発して、朝5時半に起きて、9時には会社に来るといった具合です。隙間時間を上手く使うことも大切ですね。15分の空き時間があればダッシュでどこかに行ってビールを飲んでブログを更新したりします。

日野
日野

人と付き合う時間と一人で過ごす時間、バランスをとりながら無理せず付き合っていくことが大切だと思いました。

変わりゆくものと変わらないもの

日野
日野

最後に、就職活動中の学生や20代の若者へメッセージをお願いします。

野村社長
野村社長

昔も今も変わらないことと、どんどん変わり続けることがあります。例えば、私たちの時代は手書きで図面を書いていましたが、今はコンピューターが当たり前です。AIやSNSなども時間が立てば当たり前になると思います。一方で、人付き合いや本能的な部分は昔も今も変わらないものだと思います。
私は新聞記事を274回書く機会がありまして、その最初の記事で「変わり続けることが伝統である」というお話を書いたんです。例えば、京都の伝統的工芸である西陣織は400年続いていますが、400年前と全く同じ織り方をしているわけではありません。どんどん新しい技術を取り入れて進化を遂げながら400年続いているんです。他の伝統産業や会社も同じだと思います。
ただ、最後の記事では「それでも変わらないことってあるんじゃないの」という視点も書きました。京都の町を例にとると、平安時代の人が山の上から見る景色と、今の我々が見る景色は、マクロ的には変わっていても、ざっくり言うと同じような盆地の景色だと思うんです。つまり、変化の中にも変わらないものがあるということです。

日野
日野

なるほど。変化と不変、両方の視点が大切だということですね。

野村社長
野村社長

そうです。どの世代の人も若い時には「今の若い子は」と言われ、年を取ったら自分も同じことを言うようになる。エクセルが出てきたら電卓で検算するおじさんが出てくる。これは仕方のないことです。AIが台頭してきた今、それを拒否するのか、うまく使うのか。変わりゆく便利なものは便利に使えばいいし、一方で人付き合いのような本質的なものは大切にしていく。そのバランスが重要だと思います。若い人たちには、新しいものを積極的に取り入れながらも、変わらない本質的な価値観を見失わないでほしいですね。

ざっくばらんに楽しいお話を伺うことができ、大変有意義な時間となりました。
人との関わりの中でお仕事があり、家庭があり、人生があるという野村社長のお話が
これからの自分の生き方を考えていく上で気づきのあるものでした。

<取材・執筆=日野、写真=品川>

株式会社ローバー都市建築事務所 HP:https://www.rover-archi.com/

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