京都薬品工業株式会社の北尾会長は、古くから受け継がれてきた和の心を経営の柱に据えています。依存体質が問題視される現代社会において、いかにして真の主体性を育むのか。そして、経営者として大切にする「和親協力・誠実報恩」の社是には、どのような想いが込められているのか。4年ぶりの取材で語られた言葉からは、歴史に学び、師から教えを受け、宗教心を持って、自らの道を切り拓いていく——そんな若者への期待が感じられます。
北尾 和彦(きたお かずひこ)
京都薬品工業株式会社 代表取締役会長
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主体性は依存心を捨て自立するところから生まれる

前回の取材では「主体性の重要性」と「日本人の特質」についてうかがいました。最近は若者の内向き志向やSNSでの同調圧力が指摘されるなか、改めて主体性についてどう考えればよいか、お聞かせいただけますか。

福沢諭吉は『学問のすすめ』で「独立自尊」を説いています。他人に頼らず自分の力で生きること、そして自分自身を大切にし尊重すること。一人ひとりが自立することで社会全体が強くなるという考えですね。しかし現代の日本では、国や会社、親などに頼る風潮が強い。たとえば、親が子どもに何でも与えすぎると、子どもは自立できなくなってしまう。それは社会全体の弱体化にもつながります。そうならないためにも、一人ひとりが「自助努力の精神」を持つ必要がある。主体性を育むうえでいちばん大事なのは、「依存心を捨てて自立すること」だと思います。

依存心から離れることが、主体性の出発点になるわけですね。具体的にはどうしていけばいいのでしょうか。

「何のために働くのか」をはっきりさせることが何より大切です。目的が明確になると、「そのために頑張ろう」という気持ちが自然に湧いてきます。特に最初は「自分のために仕事をする」という意識を持ってください。会社のためだと思ってしまうと、「やらされている」という感覚が強くなり、不満につながりやすいからです。しかし「自分の成長や目標のため」と考えれば、前向きに取り組めます。
会社という集団の中でこそ、人は成長できます。一人では経験できない人間関係や様々な出来事を通して、自分自身を磨き、人間性を高めていく。最初は仕事が面白く感じられなくても、努力を続けるうちにだんだん好きになっていくものです。一方、「合わないから」とすぐ辞めてしまい、転職先でも同じ理由で辞めることを繰り返すと、どこにも根を張れない“根無し草”のようになってしまいます。そうならないためにも、「ここで踏ん張って続けてみよう」と挑戦し続けることが大事です。その積み重ねが、やがて仕事を「使命」や「天命」と感じられる境地にまで引き上げてくれるはずです。

最初はとにかく一生懸命働き続けことが大事なんですね。

仕事が好きになれば自然と頼もしい人間になり、周囲から「あいつに聞けばわかる」と頼られるようになる。その瞬間に「やってよかった」「もっと頑張ろう」と思える。そこで初めて「主体性を持って働く」という状態に近づきます。はじめから「社会のため」というのは難しい。仕事に一生懸命となり、頼られるところから始めてください。そうすれば、いずれ天職になり、生かされている自分に気づき、感謝の気持ちが起こる。その後に「社会のために」という気持ちが自然と湧き起こってくるはずです。
禅の言葉で「随所作主 立処皆真(随所に主となれば、立ち処に皆真なり)」と言うように、社会や組織の中で埋没せず、なくてはならない人となることが大切なのです。

和の実現は謙虚な心から

北尾会長が経営者として大切にされている考えについてお聞かせください。

それは「和親協力・誠実報恩」、父親が作った京都薬品工業の社是です。和の心で一致協力して仕事をし、頂いたご恩を仕事を通して社会に返していくということです。会社の経営において経営判断を誤らないために常に物差しとなっています。「和」は聖徳太子の十七条憲法の第一条「和を以て貴しとなし」にあるように日本の国是ともいうべき規範です。みんなが同じではなく、それぞれが自立して個性を発揮し、その個性が互いを生かし合う――そうして真の調和が生まれる。そうしたメッセージなのですが、でも和っていうのは言うのは簡単だけど実行するのはなかなか難しいですよね。

具体的に行動に移すってなると難しそうです。

実は、十七条憲法には、第二条に「篤く三宝を敬え」とも書いてあります。あまり読まれない部分ですが、三宝即ち、仏・法・僧を敬いなさい、ということです。お釈迦さまの根本の教えに「縁起」という考え方があります。これは端的に言うならば、自分だけで存在せず、他者との関わりの中で存在しているということです。正行寺のご院家は、「『無我』とは、我(われ)が存在していないのではない。分かれて存在するものは何一つないということに気づくことである。」と仰っています。

分かれて存在するものは何もない、と気づくことが「和」を実現することにつながるということですか?

そうです。「分かれて存在するものは何もない」、皆、繋がっていると気づければ、人を大事にしようと思うし、敬いの心も芽生えるんですね。ところが、自分が「賢い」と思い込んでいると、他人を敬う気持ちはなかなか育たない。自分は執着にとらわれ、それから離れられない身であるという、「愚の認識」というのは師匠から指摘してもらわないとなかなか分かりません。
親鸞聖人が法然上人に遇ったのは、親鸞聖人が29歳のときでした。吉水の小庵で法然上人のもとを訪ね、わずか100日ほど師事しただけだったのですが、その短い学びが一生の支えになったんです。実際、親鸞聖人は83歳のときに『愚禿鈔』という著作を残していますが、その中に「賢者の信は内は賢にして外は愚なり。愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり」という言葉があります。ここで賢者というのは法然上人のことで、愚禿というのは親鸞聖人のことですが、偉い人に遇わなければ自分が愚であるという本当の姿は分かりません。親鸞聖人もまた、その姿勢を法然上人から深く学んだというわけです。自分に師匠を持つということはとても大事なことなんです。

師を持って自分では解らない本当の姿を教えてもらうということが大切なんですね。

関係性の話でもうひとつ大事なのは、親と自分の関係を明確にすることです。普通は親「と」自分、と言うように二人称で捉えがちですが、そうではなく、「自分の中に親をいただいている」という感覚が必要だと考えています。つまり「私は親から願われている存在なのだ」という意識を持ち、親と自分を単なる対等の関係として見るのではなく、私「の」親としてとらえるということです。

一つひとつの関係性を捉え直し、相手の立場に立つことが和を築くことにつながるということですね。

そうです。経営というのは、結局のところ人と人との関係。自分だけが正しいと思い込むのではなく、相手の立場に立って考える。それができて初めて、本当の意味での「和」が生まれていくと考えています。
3つのアドバイス

最後に、就職活動中の学生や若手社会人に向けてメッセージをお願いします。

大きく3つのポイントをお伝えしたいですね。
- 学ぶことの大切さを知る
- 師匠を持つ
- 宗教心を育む
私は新入社員が入社してきたら会社の歴史を必ず話します。それは、過去の歴史の反映が私共の現在の姿であり、歴史を学ぶことで蘇り、出会い、そして次世代へと繋がっていくからです。歴史を学ぶというのは、過去の人々が何を考え、どれほど努力してきたかを知ること。最近は歴史を軽視する風潮がありますが、自分の国の歴史すら知らないと、本質的な自立は難しい。歴史から学べば「自分はいろいろな縁によってここにいるんだ」と実感できます。

確かに、歴史を学ぶと「今の生活が当たり前ではなかった」と気づくことがあります。

そうなんです。なんでも当たり前と思うと感謝の心は生まれません。また、世の中のルールも学んでください。たとえばデール・カーネギーの『人を動かす』や、ポール・マイヤーの『成功への25の鍵』などを読むと、普遍的なルールのようなものが見えてきます。
それから、先ほどもお話ししたように“師匠を持つこと”が大切です。自分ひとりだけで考えていると、どうしても限界があります。私も仏教の高僧の教えを学んだり、多くの方から直接ご指導いただいたりしてきました。その過程でしか気づけない、自分の未熟さ——いわゆる「愚者としての自分」を自覚することが重要なんですね。もう一つは“宗教心”。ここで言う宗教心は「特定の宗派を信じなさい」というものではなく、「自分が生かされている存在だ」ということを知ることを指します。日本には仏教をはじめ、すばらしい教えが数多くあります。宗教心というと難しいかもしれませんが、宗教心とは、自分を常に願っていてくれる存在である親を大切にするということです。創業者の父は「親に孝行し、先祖を大事にする心を大切にしたら人生は間違いない」といつも言っていました。こうした一つひとつを大切にしていけば、より良い人生を歩むことができるでしょう。

今日のお話をうかがって、日本の文化や教えについて改めて知ることができました。

仏教で「人身受け難し、今已に受く」と言われるように、人間として生まれるのはそれだけで非常に稀なことなんです。だからこそ「生まれてきた以上、何か理由がある」と考えるほうがいい。使命や天命は人それぞれ異なりますが、自分の長所が使命や天命になっていることが多く、仕事を通じて人に喜ばれたり頼られたりしているうちに見えてくる場合が多いですね。逆に、何かを与えてもらうばかりだと、その機会がなかなか得られません。だからこそ、まずは依存する体質から抜け出して自立することが大切なんです。そして、してもらう側からしてあげる側に自分を変え社会に報恩していくことが大切です。自分で一歩踏み出してみると、思わぬ縁に出会い、自分の新たな可能性に気づくようになる。その積み重ねこそが、“主体的に生きる”ということだと思います。

特に、分かれて存在するものは何一つなくて、全てが繋がっているというお話は、まさにこれまでご教示いただいた内容や私自身の経験とも響き合い、大変感銘を受けました。
<取材・執筆=日野、写真=丸山>
京都薬品工業株式会社HP:http://www.kyoto-pharm.co.jp/index.html