前回の取材から4年。株式会社和光舎の西谷会長に再びお話を伺いました。8回の転職経験を経て起業し、今年で創業30周年を迎える同社。前回語られた「成り行き」の哲学は、時を経てどのように深化したのでしょうか。
今回の対談では、西谷会長の「なるようになる」という考え方が、経営者としての決断や、若い世代へのメッセージにどのように反映されているかに迫りました。技術の継承や人材育成において、固定観念にとらわれない柔軟な姿勢が、長年にわたる会社の存続を支えてきたことが垣間見えます。
就職活動中の学生や、京都での活躍を目指す20代の若者に向けて、西谷会長が語る「自分の正解」とは——。経験豊富な経営者の視点から、キャリアの選択に悩む若者へのアドバイスをお届けします。
西谷 謙二(にしたに けんじ)
株式会社和光舎 取締役会長
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「いやいや、成り行きや」
前回の取材で特に印象に残ったのが転職経験のお話でした。西谷会長が8回転職された中で感じたことを改めてお伺いしたいです。
初めに言っておきたいのですが、私の転職は見本になるような転職ではないんですね。理念があって転職したわけではなくて、前回お話ししたように、流れに逆らわず生きてきた結果なんです。その時は必死で、「こんな奴の下で働けるか」や「こんな仕事は俺のする仕事じゃない」と思うけど、今考えると「あれも続けてたら面白かったのにな」と思うこともある。起業も一緒で、「西谷さんはどういう経緯でこのビジネスを始めたんですか」とか、「どこに商機を見出したんですか」と聞かれることがあるけども、「 いやいや、成り行きや」と。なので、参考にならないかもしれないけれど、こんな経営者でもやっていけるということは伝えられるんじゃないかなと思います。
そんな株式会社和光舎は今年で創業30年になりますね。
この30年、私がやってきたことも決して見本になるようなものではないと思うんですね。たまたま私の場合も数多ある成功例の1つに過ぎない。会社を経営してしばらくした時に勉強会に呼ばれて話を聞いていたら、「自分もそれをやってたから今があるんや」と気づくことがありました。私はそういったことを勉強してから起業したわけではないんですが、その勉強会では、私が起業してから気づいたことを、「ちゃんと勉強してから起業しましょう」と勧めていたんですね。そうしたことも含め、私のやり方は決して王道ではないかもしれないけど、それでもここまでやってこられたから、そういう意味では転職も無駄ではなかったんだと思います。
西谷会長が「成り行き」の精神で経営されてきたその原点はどこにあるのでしょうか?
最初はちょっとしたことから始まったんです。お布団のセールスをしている時に、この奥さんタイプだなぁと思い、ニコっと微笑みかけます。そうすると、向こうは「なに私の顔見てニコニコしてるの」と怪訝な顔をしながらも相手をしてくれる……、それだけで営業ができた時代なんです。そのうちにお客さんが他のお客さんを紹介してくれて、その新しいお客さんのところへ行くと「聞いてる聞いてる、真面目そうな人が来るって」と言われる。そうやって色々なお客さんの評判で営業が成り立っていたんです。私は、転職ばかりするし、決して真面目じゃないけれども、みなさんが私の真面目な部分を見て、そう思ってくれるのだから、この真面目さを取り柄にしていこうと思ってずっとやってきました。加えて、当時はそのお布団屋さんも急成長をしていて、上司の方々がみんなパンチパーマでチェックのスーツを着ていたので、その中で私は比較的真面目そうに見えたのかもしれない。別に自分が飾らんでもお客さんはそう思ってくれて営業ができるんだから「運がいいな」、なんて思っていました。ただそれも全部、「タイプの奥さんやな」と思って接したことが始まりだったんだと思うんですね(笑)。
人とのコミュニケーションや経験の中で、今の西谷会長が形成されたのですね。
そうですね。だから、後ろから見たりすると、きっと違う私がおるんだと思う。だけど、前だけで自分が表現できるんやったらそれで良いなと。「いや、本当の僕はですね」って言う必要はない。もし、そのお布団屋さんのセールスをせず、 違うところで働いていたら、違う自分になっていたかもしれない。だから、「絶対この仕事で」とか、「このタイプで生きないと」というのはないんだと思う。周りが人間形成してくれるんかもしれないね。
継承とは、そのまま受け継ぐことではない
次に、今回のテーマである「経営者の哲学」について、西谷会長が大切にされている考えや気づきをお伺いできればと思います。
最近のことですが、3人の職人さんに怒ろうとしたことがありました。私たちの会社は、技術を継承しながらここまでやってきましたが、ある先輩職人が、急に辞めることになってしまい、その結果、現職の職人3人にやり方が十分引き継がれていなかったんです。そのため、やり方が3人で全く異なってしまっていました。ある日、本社に行き、生地の裏を見たときに「これは一体なんだ?」と思うほど酷い仕上がりだったので、その3人を集めたんです。裏から見ただけで、仕事の質は分かるものです。「こんなんでうまくいくわけがない」と思って表に返したら、裏地からは想像できないほど立派な仕上がりだったんです。怒ろうと思っていたのに「これでええ」という言葉が口をついて出ていました。その時に、同じことやるのが継承ではないんやなと思いましたね。もし先代の職人さんが残っていたら、 私が怒ろうとしたように「あんた何してるん?」って言いそうなやり方なんだけど、私は出来上がりを見た時に「こういうやり方もあるんや」とむしろ感心してしまいました。職人さんの技術というのは、 そのまま真似するんじゃなくて、次から次へと新しい技を取り入れて継承されていくもんなんやと気づかされましたね。だから人間国宝と言われる人や、同じように技術を継承して活躍している人も、立派に見えるけど、もし先人が生きていたら「お前何してるんや」と言われるようなことをやっているかもしれない。要するに、なるようになっていくんだと思うんです。
その気づきは、社員との接し方や経営する上でどのように生かされていますか?
先ほども言いましたが、私は「なるようになっていく」と思っているので、あまり言わないようにしています。もし私が「あーせい、こーせい」と言ったって、自分の身になると思わなければやらないです。それより納得できるような環境をどう作っていくかが大事だと思います。だから私は会社へ行ったら「えらい良くなったやん」と言うだけにしていますね。
そうした柔軟な考え方も、これまで会社を存続し続けられた一つの要因かもしれないと思いました。
なるようになるから、したくない無理はしなくて良い
最後に、西谷会長の視点から、現在就職活動をしている学生や京都で活躍したいと考えている20代の若者に対してメッセージをお願いできますか。
自分のええとこが必ずあるはずだから、嫌なことで無理をしないというのは、大事かもわからんね。やってみて何かに気がつけば、「これ、俺向いてるかも」と思うかもしれない。やってみて、1ヶ月や2ヶ月経って嫌だったらやめたら良い。ただ、やめる前にちょっとだけ「今やめてええんかな」と立ち止まって考えてみても良いかもやね。どんなに大失敗したと思っても、みんな70歳になったらなんとかなってる。そう思ったら、失敗なんてないんですよ。「自分の人生はこんなもん」って投げやりになるんじゃなくて、「全うしているんだ」と思えたら良いですね。
確かに70歳になった時、今の悩みはちっぽけに感じるかもしれません。
当然、苦しむことがあっても、それはそれで正解やと思うね。どんな失敗しても、どんなに成功しても、その時の自分にしか歩めない道なんじゃないかと思うんでね。なんとかなりますよ、きっと。
「なんとかなる」精神をもってしても、どうにもならないことってないですか。
何もしないでじっとしていたら、状況は変わらないかもしれない。でも、少しでも行動してみれば、思っていた結果の10%くらいしか達成できなかったとしても「一歩前進した」と感じられるかもしれないですよね。つまり、それが今の自分にとっては100%だったんだと思う。他人と比べても仕方ないし、もし1年間で達成しようとして結果的にできなかったとしても、その1年間の努力は事実としてある。自分の目標と結果をきちんと受け止めて、それで良しとしないと、いつまでも前に進めないからね。
なんとかなるというのは、何もしないでなんとかなるわけではなくて、やってみた結果のその捉え方で、なんとかなるっていう風に思えばいいよね、という意味なのですね。
思えばええよりも、「それが正解やったんや」と思うということですね。
確かに、何かを始めるときに、つい100を期待してしまいますが、それはあくまで自分の予測でしかないなと気づきました。
コンピュータで出した答えが唯一の正解だと皆が思い込んでしまうと、成功できる人とできない人がどうしても生まれてしまう。昔の言葉に『かごに乗る人、担ぐ人、わらじを作る人』という言い回しがある。かごに乗って豪華な生活をする人もいれば、それを支える担ぐ人も必要だし、担ぐ人が履くわらじを作る人もいないと成り立たない。だからといって、わらじを作っている人が脱落者かと言えばそうではない。その人はその役割に満足していて、周りもそれを認めていたんだと思いますね。つまり、成功というのは一律の基準では測れないものなんじゃないですかね。
<取材・執筆=日野、写真=齋藤>
株式会社和光舎 HP:https://wakohsha.com/